
2023年7月。「中動態」という言葉に出会ったとき、
正直、少し救われた気がしました。
なんというか、
保育のなかで見てきた“説明のつかないこと”が、
少しだけ、言葉のほうから寄ってきてくれた気がしたのです。
──ああ、そうそう、それそれ、と思いました。
とくに、矢野勇樹さんの本で出会った、「いいこと思いついた!」っていうつぶやき。
あれは、まさに中動態の代表みたいな言葉だと思いました。
“思いつこう”としているわけじゃないのに、“思いついちゃった”から始まる。
体のどこかが先に動いて、頭があとから追いついてくるような感じです。
そういう“巻き込まれている生き様”に、私もたくさん立ち会ってきました。
でも
中動態という言葉で見えるようになったものが増えた一方で、
なんだか、見えにくくなったものもあったような気がしてきました。
たとえば、前触れもなく泣き出した小さい人たち。
さっきまで遊んでいたのに、急に手が止まった人たち。
笑っていたのに、次の瞬間、もう黙ってしまった人たち。
「いいこと思いついた!」とは、まるで逆の場所にいるような人たちです。
なにかを始めたわけでもないし、
なにかに巻き込まれたわけでもない。
ただ、“なにかが起きてしまった”という顔をしていました。
こちらも、その“なにか”を説明することができませんでした。
もちろん、本人たちも説明なんてしてこない。
でも、たしかにそこには“震え”がありました。
私はずっと、中動態の言葉を借りながら、
その「起きちゃった」場面に立ち会ってきたつもりでした。
立ち会ってはいたけれど、
それに名前がないまま、ただ見ているしかありませんでした。
理解もしていないし、整理もしていない。
ただ、記憶のどこかに、それらの場面が残っていました。

そして、ある日。
「震動態」という言葉が、勝手に自分の中に降ってきました。
たぶんそれは、中動態の“続き”というより、
ちょっと“横にずれた場所”だったのだと思います。
中動態が「流れの中で動いてしまうこと」なら、
震動態は「流れの中で、なにもできずに揺れていること」かもしれません。
どちらがいいとか悪いとか、そんな話ではありません。
ただ、違う“種類の揺れ”が、そこにあったということだけは確かでした。
私は、「いいこと思いついた!」に感動できる大人でいたいと思っています。
でも、
「なにか起きちゃったみたいな顔をしている小さい人たち」を見つけたときに、
ちゃんと目を止めていられる大きいだけの人でもありたいとも思っています。
彼らは、
中動態では届かなかった場所にいるのです。
私は今、震動態という言葉を手がかりに、
その場所に立ち直している最中だと思っています。







