
〜「せっかくだから」という名の呪い〜
前回は 運動会や発表会という「ハレの日」に潜む
大人の「元を取りたい心理(サンクコスト)」についてお話ししました
ですが この心理が本当に厄介なのは
イベントの日だけではない ということです
もっと静かに もっと日常的に
私たちの生活の隙間に忍び込んできます
たとえば 休日の公園で
こんな言葉を口にした(あるいは飲み込んだ)ことはないでしょうか
「せっかく 遠くの公園まで連れてきたんだから」
「せっかく 新しいおもちゃを買ったんだから」
遊具で遊ばずに アリの行列をじっと見ている小さい人に
「ほら あっちに滑り台があるよ 行っておいで!」
と ついつい声をかけてしまう
その心理の裏側にあるのは
「連れてきた労力」を
「彼らが楽しそうに遊ぶ姿(成果)」で回収したいという
私たち大人の都合です
……と 偉そうに分析している私自身も
現場では 同じ「呪い」にかかることがあります
正直に白状しましょう
保育の前日
「明日の保育はみんなきっと喜ぶぞ」と
絵の具を調合したり 特別な素材を準備することがあります
「この素材なら すごいアートが生まれるはず!」
そう意気込んで環境を整えた翌朝
園児たちは どうするか
チラッと見ただけで 素通り
あるいは 私が1時間かけて準備した色水を
一瞬で ジャーッと泥に流して
「わー 泥が変な色になった!」と大笑い
その瞬間 私の心に湧き上がる 黒い感情
「あぁ… せっかく準備したのに…」
「もっと大事に使ってよ(もっと長く遊んでよ)」
ほら ここにも顔を出しました
「サンクコスト(埋没費用)」 の亡霊です
私たちは 無意識のうちに
日常の遊びにさえ「成果」や「見栄え」を求めてしまいます
ㅤ「何か特別なことをしてあげなきゃ」
ㅤ「何かを得て帰らせなきゃ」
ㅤそうやって 日常を
「小さなイベント」に仕立て上げようとしてしまう
だから ただアリを見つめているだけの背中や
ただ泥をかき混ぜているだけの手元を見ると
大人の脳内計算機が「成果なし(ゼロ)」と弾き出し
つい不安になってしまうのです
「ほら、ボーッとしてないで!」
「何かして遊んできなさい!」
けれど 大人の目には「何もしていない(成果がない)」ように見えるその時間
それこそが 実は……
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ㅤ
先日 ある「森のようちえん」の園長先生と
お酒を飲みながら話す機会がありました
大自然の中で 数名の小さい人たちと暮らすその先生は
こう言い切りました

だって 毎日の暮らしそのものが
すでにドラマチックで 最高に面白いじゃん
衝撃的でしたが 腑に落ちました
毎日が「センス・オブ・ワンダー(神秘や不思議に目を見張る感性)」に溢れ
その瞬間瞬間を生ききっている小さい人たちにとって
「大人のために切り取って見せるショー」など
蛇足でしかないのかもしれません
規模や環境は違っても 本質は同じです
私たちがすべきは
「せっかくだから」と 大人のシナリオに誘導することではなく
彼らが「いま」感じている世界を
ただ静かに 邪魔せずに 見守ること
「何もしない」をしている時間
それこそが 実は最も贅沢で
何にも代えがたい「育ちの時間」なのかもしれません
とはいえ 黙って見ているのは修行のように苦しいものです
(色水を流された時の私のように…)
次回は 最終回
この「待つ」という苦行(?)を乗り越えた先にある
「信頼」という名の本当の果実」
についてお話しします
(続く)




