
〜感動という名の配当金〜
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運動会や発表会 小さい人たちのひたむきな姿に
思わず大人が涙を流す季節です
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前回は「自由」を掲げながらも 結局は小さい人を誘導してしまう
私たち大人の矛盾について触れました
その背景にある心理を紐解くとき
サンクコスト(埋没費用) という経済学の言葉が浮かびます
少し難しい言葉ですが
子育てや保育の現場に置き換えると 誰もが「ハッ」とする感覚かもしれません
毎日の送り迎え お弁当作り 決して安くはない月謝や習い事への送迎
(これは お父さんお母さんのコスト)
そして 物的・空間的環境を整えて 保育する時間
(これは 私たち保育者のコスト)
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立場は違えど 「私たち大人」 は
小さい人たちのために たくさんの「コスト(労力・時間・お金)」を注いでいます
それ自体は とても尊い愛情です
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けれど 人は無意識のうちに
「これだけ手をかけたのだから」と
「それに見合うリターン(成果)」 を求めてしまう生き物でもあります
教育におけるリターン
それは往々にして
「小さい人が『できた』姿を見せてくれること」
そして
「私(大人)を感動させてくれること」
になりがちです
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跳び箱が跳べた 合奏が揃った 逆立ちで歩けた
その「わかりやすい成果」を目にした時
私たちは安心し 涙を流します
「あぁ 私の苦労は報われた」
「この園に入れてよかった」
「一生懸命 指導してよかった」
それは 日々の疲れを癒やしてくれる
感動という名の配当金 のようなものかもしれません
けれど その「配当金」を期待する気持ちが強すぎると
知らず知らずのうちに 小さい人を追い込んでしまうことがあります
「みんなできなきゃダメ」
「感動させなきゃダメ」
そこに「やらない」という選択肢がなくなってしまう
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泣きながら障害物に向かう小さい人を見て
「頑張れ!」と叫ぶその声
それは 純粋な応援でしょうか
それとも「早く安心させて(成果を見せて)」という
大人の焦りでしょうか
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「上手にできた」ことだけが ゴールではありません
そこに至るまでの 心の揺れ動きや 葛藤
「できない」と泣いた時間さえもが
その小さい人の尊い「今」であり 成長のプロセスです
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小さい人は 大人を感動させるための道具ではありません
彼らは 彼らの時間を生きています
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……と ここまでは 行事という「特別な日(ハレの日)」のお話
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ですが この「元を取りたい」という心理は
もっと静かに もっと日常的に
私たち保育者のなかに潜んでいます
園庭の片隅で 砂場の真ん中で
私たちは良かれと思って つい口にします
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「せっかくみんながいるんだから」
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次回は 何気ない日常に顔を出す
「せっかくだから」という名のお節介
そして
未来のために「今」を奪われる小さい人たちについて考えます
(続く)






