還すラボ

小さい人たちに彼らの時間を還す

4⃣ | 震動態とはなにか

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4⃣ | 震動態とはなにか

震動態。
この言葉は、誰かに教わったわけではありません。
ある日、勝手に、自分の中に降ってきました。

中動態という言葉に出会ったとき、
私は、保育の見え方が大きく変わりました。

「やらせた」でも「やった」でもない。
「なってしまった」という在り方。
小さな人たちが、何かに巻き込まれ、いつの間にか生きている時間。

“気づいたら始まっていた”というあの感じに、
中動態はとてもよく似合いました。

そして今、中動態という言葉は、
彼らの遊びのなかの「いいこと思いついた」と出会い、
研修の中にも、少しずつ息づきはじめています。

でも、震動態は──
そういう場所には、まだ名前もついていません。

別に、つけようとも思っていません。

ただ、震えながら、静かにそこにある。

誰かに認めてもらうためでもなく、
誰かに説明するためでもない。

ただ、そこに寄り添って、
あったと、静かにたしかめたかっただけです。

「やった」でも、「させられた」でも、「なっていた」でもない。
ただ、起きてしまった。

自分でもうまく扱えず、
誰かに説明できるわけでもない。

でも、その“起きてしまった何か”に、
身体ごと震えながら反応している自分が、たしかにそこにいる。

たとえば、
「できなかった」のに、なぜか残っている手触り。
言葉にできない涙。
声に出せなかった怒り。
壊れなかったけれど、壊れかけていた“なにか”。

それに意味はあるのか?
正直、わかりません。
でも、残っている、ということだけは、たしかに言えます。

それが、震動態なのだと思います。

中動態が「流れのなかで動くこと」なら、
震動態は「流れのなかで、動けなくなること」かもしれません。

でも、“止まっている”とは違います。

震えながら、そこに居続ける。

私は、そんな場面に何度も立ち会ってきました。
声が出なかった。
近づけなかった。
なにか言いたかったけれど、言えなかった。

それは、対応のミスではありません。
支援の不備でもありません。

ただ、「震えている人のそばに立つ」ことしかできなかった時間。

どうにかしたくても、どうにもできなかった。

だから、名前をつけました。

目をそらさないために。
共に居るために。
この震えを、なかったことにしないために。

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