還すラボ

小さい人たちに彼らの時間を還す

“すっこんでろ”と、言える親へ──川和で見た問いのかたち

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約5分
“すっこんでろ”と、言える親へ──川和で見た問いのかたち

2025年4月20日、川和保育園の一室で行われた講演会。そのアーカイブ動画が後日配信され、咀嚼するように何度も観る中で、あの場で言葉にならなかった問いたちが、少しずつ浮かび上がってきた。

いま私たちに問われているのは、支援でも教育でもなく、“関係性”なのではないか。 そんな感覚に突き動かされながら、キーを打つ。

見せて合意形成そのすごみ

配布資料27ページ「見せて合意形成を!」につけた解説で、本田先生はこう語った

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本田先生
本人が『どうしてもやらなきゃいけない』と
自分で思うように仕向ける
これが支援

そのために何をするか。見せる。体感させる。しかも“さりげなく”。 言葉で説得するのではなく、環境で納得に導く。

これは、まさに還すラボが掲げる「問いは“準備してから投げる”ものではない。“いま、ここ”にすでに落ちている」という理念ともぴたりと重なる。

先回りせず、差し出す。準備より先に共有。 小さい人に合わせて、大きい人が「ちょっとだけズレて待つ」──それが本当の意味での寄り添いなのだ。

仕向ける?ぺっでもそこにある支援の本質

「仕向ける」という言葉に、グッと身構えた。正直、ぺっ、と吐きたくなった。 その瞬間、「私が他人に何かされたわけじゃないけど」なのに、その言葉に込められた“何か”に、ざわっとした。

「シテアゲル主義」に違和感が走る

「仕向ける」には、どうしても「誤りなき意図」や「やらせよう」の香りがする。 主体は誰だ? 誰のための支援だ? ──そう問いつめたくなる。

還すラボは、小さい人たちに「彼らの時間」を還す活動。 そこに、「仕向ける」というニュアンスは、あまりにも「やる側」の論理じゃないか。

でも・・・「ぺっ」で終わらせない

師の言葉を、ただ批判するのは簡単だ。 でも、そこで立ち止まらず、「なんで『ぺっ』って思ったんだろう?」と問い直す。

違和感を道しるべに、「自分の中の支援観」をもう一度すくい上げる。

支援って、「自分の願いと誰かのリアルが並跡するプロセス」なんだと、そう思えた時、初めて言葉を“使う側”になれる。

「違和感」を信じてみる

誰もが気持ちよく拍手した言葉に、自分だけが違和感を持った時、ひとは孤独を感じる。 でもその孤独の中で、「自分だけでも」って言えること。 それが、“自分の支援”の始まり。

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カネコ
結論:「ぺっ」の中に本質は眠ってる

支援とは、仕向けることではなく、寄り添うプロセスの連続。 違和感は、支援者としての眼彗を深めるチャンス。 誰かの正解を飲み込むのではなく、自分の正解を耕す旅。

“すっこんでろ”と、言える親へ

そして、最大の衝撃は43ページ。「思春期・青年期の親の関わり方」というスライドに対して、本田先生はこう言い放った。

アバター
本田先生
親は すっこんでろ

会場に笑いが起きた。けれど、その笑いの奥には“耳が痛い”という空気も流れていた。
笑った人、戸惑った人、メモを止めた人──反応はさまざまだった。 けれど、これはただの冗談じゃなかった。

本田先生がこの言葉を選んだのは、親を突き放すためじゃない。 「ひとりでいる時間を保障する」ことが、思春期の支援になる。 それを誰よりも知っているからこそ、あえて放たれた一撃だった。

この時期に 子どもが家族以外と関係を持てるかどうか
それが、将来の“生きやすさ”に直結する

親ができるのは、“不在であること”。 優しさが邪魔になるとき、大人の役割は“寄らない勇気”かもしれない。

“すっこんでろ”は 子どもを信じきる覚悟の一言

私は、この一言を、講演会のその場で受け取った。 そして、今こうして言葉にしている。「すっこんでろ」を、保護者として、保育者として、自分の言葉として引き受けている。

“見守る”という行為。それは、声をかけることでも、アドバイスすることでもない。 ときに、「何もしない」ことが、最大の“何か”になる。

次回以降印象に残った語句たちから

以下は、講義中に拾った印象的な語句たち。 ここからも、子どもを“育てる”のでなく、“一緒に生きる”視点が浮かび上がる。

  • 親として、子に期待しない勇気をもつ ──信じるって、手放すことなのかもしれない
  • 話し言葉は消えてなくなる ──けれど、残るものがある
  • 横浜市の療育手帳取得率は高い ──制度と出会うかどうか、それだけで差がつく
  • ASD特性の人は、他人に興味がないぶん、ルーティンが重要 ──変化じゃなく、安心が土台
  • 昼夜逆転の原因は「ほかにやることがないから」 ──原因は、本人ではなく環境
  • 教師の役割は「お膳立てをするだけ」 ──子どもが“選ぶ”ための準備こそ支援
  • 嘘には2種類ある:「怒られたくない」「よく見せたい」──後者は大人の圧かも
  • “発達障害の人たちが受けてる支援”を、“定型発達の子ども”にも届ける価値
    ──特別じゃない、当たり前の支援
  • 思春期の子に必要なのは「ぼっちに耐える力」 ──孤立じゃない、自律の入り口

ここでは、すべてを語り尽くすわけにはいかない。 だけど、ここで“語らない”ことこそ、語ることになる場合もある。

この続きを、“to be continued…”の気持ちで。

いずれ、また。

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